2023-1-20

  

ウォーカー・エバンス

EVANS, Walker (1903-1975)

ウォーカー・エバンスは米国ミズリー州セントルイス生まれです。1926年にウィリアムス・カレッジをドロップアウトし、フランスに渡り、パリのソルボンヌ大学で文学の講義を受け、作家を目指します。
1927年に帰国後、一転して趣味だった写真に対する関心を深め、本格的に撮影を始めます。 当時主流だったスティーグリッツの絵画主義とスタインケンの商業主義に不満を持ったエバンスは、クリアーでストレートなドキュメンタリー・スタイルの写真フォームを作りました。
1933年、29歳のエバンスはキューバ政治に関する書籍用の仕事でキューバを訪れました。そこで彼は、革命前の喧騒としたキューバの人物、生活、市街などを約3週間に渡って400枚近く撮影しています。 恐慌期の1935~1937年にはニューディール政策の一環として行われた政府のFSA(農村安定局) 依頼による仕事を行ないます。ドロシア・ラングらと行なった、不況下の南部農村の経済と社会状況の記録写真は彼の最も有名な作品群とみなされています。1936年には“フォーチュン"誌の依頼で作家のJames Ageeと共に南部の小作人の記録の仕事も行い、後に写真集"Let Us Now Praise Famous Men "にまとめています。

1938年にはニューヨーク近代美術館で写真家としては初めての回顧展が開催されます。その時出版されたカタログが有名な"American Photographs,1938"です。写真を絵画のように1枚づつでなく、撮影場所や時間をばらばらにし、一連の流れの中で組んで見せる方法は非常に斬新でした。それまで絵画の延長上と考えられていた写真がこれで独自のアートとして評価を受けます。ウォーカー・エバンスの伝説はこの時に始まります。 彼の作品のモチーフはFSA関連以外にも非常に多岐に及んでおり、建築物、地下鉄乗客の隠し撮り、ストリート、動く列車からの工業風景の撮影からポートレートまで含まれます。最近はサインボードやビルボードの撮影が写真集"Signs"にもまとめられ、ポップアートの先駆けとの評価もされています。
第2次大戦後は“タイム”誌、“フォーチュン”誌で編集の仕事を勤めます。 晩年はエール大学グラフィックデザイン科の教授を勤めました。米国写真界で最も重要なドキュメンタリー写真家と評価されていますが、本人はくせがある非常に個性的な人物だったそうです。

FSA(農村安定局)以外の仕事はあまり有名ではありませんでしたが、2000年、メトロポリタン美術館で回顧展が開かれたことを機会に、関連写真展の開催や写真集の発行も相次ぎ、再び脚光を浴びています。