■Artist's Story■
リリアン・バスマン
BASSMAN, Lillian
1917-2012



"Lillian Bassman: Lingerie"


"Lillian Bassman & Paul Himmel"


"Lillian Bassman: Women"


 


リリアン・バスマン(1917-)は米国ニューヨークのブルックリン出身。両親はロシアからのユダヤ系移民です。夫は写真家ポール・ヒメル(1914 - 2009)で、二人は1935年に結婚しています。
Textile High Schoolでファブリック・デザイン、Pratt Instituteでファッション・イラストレーションを学び、 40年代にハーパース・バザー誌で当時のアート・ディレクター、アレクセイ・ブロドビッチの見習いとしてキャリアを開始。 その後に正式のアシスタントとなり、1945年にジュニア・バザー誌のアート・ディレクターに抜擢されます。 リチャード・アベドンロバート・フランクなどと仕事を通して、やがて彼女は写真に魅力を感じるようになります。 空き時間にホイニンゲン・ヒューネの暗室で数多くのプリント実験に取り組みます。そして1947年、彼女はほとんど経験のないままで写真家へと転身をはたします。

彼女の初期ファッション写真の特徴である、ロマンチックな感じのソフトフォーカス写真はすべて暗室作業の技術追及の結果に生まれています。その上で、彼女は女性写真家である点を有効に使い、特定のモデルとの深い信頼関係構築に成功します。独創的な技術と優れた関係性を駆使することで、モデルと服を写すだけの伝統的なファッション写真とは違う新しいイメージを作り上げました。特にランジェリーの写真は彼女の特徴が最も生かされています。
ファッションの詳細を提示するよりも、雰囲気や感情を優先的に表現する写真はブロドビッチには支持されますが、編集長のカーメル・スノウの考えとは食い違っていたといわれています。
彼女は、50〜60年代にかけて、リチャード・アヴェドン、ルイス・フォアーなどとともに、 ジュニア・バザー、ハーパース・バザー誌で活躍。またシャネルやバレンシアガのファッション・キャンペーンも行っています。
1970年代になるとファッション写真の一線からは退き、個人的な作品プロジェクト制作に軸足を移します。80年代には新たにカラーによるメールヌードの抽象作品の取り組みも開始します。

90年代になり、ファッション写真がアートのひとつのカテゴリーと認識されるようになり、彼女の過去の仕事が再評価されます。 1991年9月にネガなどの過去の膨大な作品群が偶然に発見され、彼女は新しい解釈でプリントを再開。1992年以来、それらの作品は美術館やギャラリーで展示されるようになります。1997年にはキャリアを回顧する写真展がニューヨークのFashion Institute of Technologyで開催されるとともに、写真集"Lillian Bassman"が刊行されています。

2009〜2010年にかけて、 ドイツ・ハンブルグのDeichtorhallen美術館でリリアン・バスマンとポール・ヒメル夫妻の総合的な回顧展が開催されています。

2012年2月13日、ニューヨーク・マンハッタンで亡くなりました。94歳でした。


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