2023-1-20

  

アニー・リーボビッツ

LEIBOVITZ, Annie (1949-)

アニー・リーボビッツは米国を代表するポートレート写真家です。米国空軍に勤める父とモダン・ダンサーの母との間に生まれた彼女は父親の仕事の関係で全米各地で 暮らしたそうです。学生時代はカルチェ=ブレッソンのフォトジャーナリスト的な写真とラルティーグ に影響を受け、また、家族の絆を確認する家族写真も写真家のベースになっていると自ら述べています。

サンフランシスコ・アート・インスティチュートで絵画を学びますが、作業研究で暮らしたイスラエルで写真を撮影したことが転機となります。帰国後、定期購読していたローリングストーン誌 にイスラエルで撮影した反戦運動の写真を持ち込みます。その写真が編集者の目に留まり、いきなり雑誌に掲載されることになります。幸運なことにその後すぐに仕事を依頼されニューヨークでジョン・レノンの撮影を行い、なんとその写真がローリングストーン誌の表紙を飾ることになります。1970年、彼女がまだ若干20歳の時です。有名人のレノンは無名の彼女の撮影に非常に協力的だったそうです。地球上の人類はみな同じであると彼の態度から教えられ、その経験がその後の写真に深く影響していると語っています。彼女の輝かしいキャリアはこうして始まりました。
1973年にはローリングストーン誌のチーフ・フォトグラファーになり、1975年のローリングストーンズのツアー・ドキュメントの仕事が彼女を一躍有名にしました。 1980年には有名なジョン・レノンとオノ・ヨーコの暗殺前の最後の写真をローリングストーン誌の表紙の為に撮影しました。この写真が表紙となったローリングストーン誌1981年1月22日号は、2005年に米雑誌編集者協会から、過去40年間に全米で発行された雑誌の中の最優秀表紙写真に選ばれています。(写真集"Photographs 1970-1990"の表紙イメージ。絶版) 1983年にヴァニティ・フェアー誌に移籍して撮影対象をミュージシャンからより広いセレブリティーに広げています。1984年には全米雑誌写真家協会からフォトグラファー・オブ・ザ・イヤーに選ばれています。雑誌の仕事中心ですが広告の仕事では1987年のアメリカン・エキスプレスのキャンペーン写真やギャップ、アン・クラインの仕事を行なっています。

多くのポートレート写真家はファッション写真家出身です。しかし彼女のベースはジャーナリストのルポルタージュ写真であったことが大きな特徴です。 初期の写真はモノクロの35ミリカメラで写真の構図とモデルのフォームにこだわったイメージ作りをで 心がけます。ヘア・メイクやファッションにも全くこだわりませんでした。モデルの親密さとともにフォトジャーナリスト的にベストショットのタイミングを本能的に探りだそうと いうアプローチでした。
しかし80年代に入ると大判カメラでより洗練されたコンセプチュアルなイメージをプロデュースして撮影するように変化していきました。 彼女の撮影するモデルは予想を越えた新鮮なポーズをとることで有名です。ジョンレノンのヌードで体をよじらせてオノ・ヨーコに寄り添うイメージや泥の中のローレン・ハットン など伝説的なポートレートは数知れません。またデミー・ムーアの妊婦ヌードでも話題になりました。単にきれいなだけの平凡なポートレートに飽き飽きするセレブリティーにとって豊かなアイデアを持った彼女の写真は自分の新しい面を引き出してくれる魅力あるメディアだったのです。

彼女のオリジナル・プリントはニューヨークのジェームス・ダジンガー・ギャラリーで初めて扱われ、その後、写真オークションでも頻繁に取り引きされるようになっています。 1991年にはニューヨークの国際写真センター、スミソニアン・ナショナル・ポートレートギャラリーで大規模な回顧展が開催されています。

30年に渡ってアメリカのポピュラー・カルチャーを雑誌を通して表現していた彼女の仕事への情熱は一向に衰えません。1999年には20世紀末に各分野で活躍する女性のポートレート撮影のプログラムに従事し、コーコラン・ギャラリー・オブ・アート(ワシントン)で写真展を開催するとともに写真集"Women"を発表しています。
2006年には過去の写真家としての仕事と、プライベート・ショットを同時展示する自叙伝的写真展"A Photographer's Life: 1990-2005"をブルックリン美術館で開催しています。