2023-1-20

  

ピーター・リンドバーグ

LINDBERGH, Peter (1944-2019)

最も成功したファッション写真家のひとり、ピーター・リンドバーグは1944年、ドイツ東部に生まれます。子供時代はデュイスブルクの親戚の叔父が経営する羊農場で育ちました。デュイスブルグは彼が成長する1950年代には炭坑を抱える工業の街でもありました。 この田舎と工業が並立して存在する特異な環境が後のリンドバークの写真に大きな影響を与えていると思われます。
15歳でいったん学校をドロップアウトし1959年から1964年まではドイツ、スイスの有名デパートのウインドーデザインの仕事を行います。その後南欧や北アフリカを貧乏旅行後、デザインと装飾美術を再び学び始めます。1969年にはデュッセルドルフのギャラリーでコンセプチュアルアートの 絵画の個展を行なっています。写真家のキャリアのスタートは遅く、1971年、27歳のときハンス・リュックスのアシスタントになったのがはじまりです。1973年、彼が29歳の時に広告写真家として独立します。1978年にシュテルン誌に初めてのファッション写真が掲載されたことを機会に拠点をファッションの中心地パリに移します。1981年の一連のイタリアン・ヴォーグ誌の仕事と1981年~1982年のコムデ・ギャルソンのファッション・カタログで注目を浴びるように なります。
その後、スリムで、ハンサムな感じのモデルを起用して作り上げられる、タフで、エモーショナルで、どこか挑発するような雰囲気のイメージも持ったファッション写真は、80年代の自立した女性のイメージに見事に合致して世界中で高い評価を得るようになります。雑誌では各国のヴォーグ誌中心に大活躍し、1992年からはハーパース・バザー誌に移籍しています。

彼のベストの作品はドラマティクでコントラストの強烈なモノクロ写真です。ひとつの気に入ったテーマについて時間をかけてイメージを展開させるを好みます。モデルの使い方にも才能を発揮し、黒人のモデルを発掘したり、同一イメージ内にスーパーモデルを何人も起用したりしています。
1990年代のスーパーモデル・ブームの火付け役としても知られており、ナオミ・キャンベルや リンダ・エバンジェリスタは彼のファッション写真で有名になりました。また大胆なポーズのつけかたにも特徴があります。この点に関して 評論家のマーチン・ハリソン氏は“リンドバークのファッション写真への功績は、彼がモデルのジェスチャーの持つ意味を拡大させたことにある”と指摘しています。

彼のストーリーを思い起こさせる作品のアイデアはドイツ文化に深く根ざしています。過去の映画の様式がベースになっていることが多く、特に1920年代のドイツ表現主義の映画“メトロポリス”や最近ではヴィム・ヴェンダースの “ベルリン・天使の詩”などに影響を受けていると本人は語っています。

広告キャンペーンの仕事ではジョルジオ・アルマーニ、ダナ・キャラン、カルバン・クライン、 ジル・サンダーなどの欧米の一流デザイナーの撮影を行なっています。1995年には有名なイタリアのタイヤメーカー、ピレリー社の1996年カレンダーに起用されています。映像の分野でも活躍しており、ティナ・タナーのミュージック・ビデオや数多くのテレビ・コマーシャルを監督しています。

1990年代後半になり彼の写真も変化してきました。今までのストーリー性のある写真をあえて止めて、自然のスナップショット的な写真を好んで撮るようになったのです。 ファッション写真家の宿命はいつかは飽きられてしまうこと。多くの写真家は人気のピークが過ぎるとアーティストを志したりします。リンドバークは自身が絵を描いていたという背景があるために、ファッション写真のアート性を確信していないようです。彼の80年代のスーパーモデルを撮影した代表的ファッション写真は間違いなくアート作品として評価されるでしょう。ファッション写真の頂点を極めたリンドバーク、今後はよりアート志向の強い作品を制作していくのでしょうか、また映像方面に軸足を移すのでしょうか? ファッション業界、アート業界、コレクターが注目しています。

2019年9月3日、パリで亡くなりました。74歳でした。